神経症の歴史

神経症という言葉を初めて使ったのは、18世紀の英国(スコットランド)の医師Cullenです。Cullenは、身体の正常な状態は神経系から出される神経エネルギーによって定まり、
神経があらゆる疾病現象に関係するとする神経病理説を唱え、全疾患を熱性疾患、消耗性疾患、局所性疾患、そして神経疾患=neurosis(神経症)に分類しました。
この「神経症」は包括的な概念だったので、その後、多くの疾患がそこから独立して除外されることになります。
フランスのPinelは、フランス革命の後、パリのビセトール精神病院の院長に任命され、
入院患者を人道的に処遇するとともに、精神的な病は、神経系の障害に基づくとして、脳神経症と総称しました。そして、そのうちの精神異常の群を除いたものを「神経症」と称しました。しかし、大型の精神病院中心の精神医学は、より重症の障害に目を向ける結果となり、神経症の臨床の場は、むしろ精神病院以外に移って行きました。
19世紀になると、Morelによる強迫症(1860年代)、Westphalによる広場恐怖(1871)、Beardの「神経衰弱」などの病態の記載が始まり、また、フランスでCharcot、Bernheimらによるヒステリーの研究が興隆しました。
19世紀の終わりから20世紀の前半には、ヒステリー研究の流れを受けて、Janet、Freudが、それぞれ心理分析、精神分析を創始し、神経症に適用しようとしました。
そして、同時期に日本では、森田正馬が「神経質」学説を独自にうちたて、ヒポコンドリー性基調+精神交互作用によって神経症が成立するとして、その治療法(森田療法)を確立しました。
また、Pavlovによる動物の実験神経症の発見から始まる一連の研究は、行動主義心理学を生み出し、1950年代になって神経症の行動療法として臨床に用いられるようになりました。
そして、1960年代には、ベンゾジアゼピンが抗不安薬として臨床で使用されるようになり、
神経症の薬物療法も可能となってきました。
1980年代になると、アメリカで精神疾患の操作的診断基準としてDSM-Ⅲが登場し、
精神分析の出現以来一つのカテゴリーとして論じられていたヒステリーと神経症とが再度別々に分類され、神経症は「不安障害」としてまとめられました。国際疾病分類(ICD-10)にもこれは反映されています。