神経症と森田療法

森田療法とは、大正時代に森田正馬博士が創始し、昭和になって高良武久博士が発展させた神経症の治療法です。
お二人ともに慈恵医大の精神科の教授をつとめられた方です。
森田療法の治療対象となる「神経症」とは、「心理的機制によっておこる精神的あるいは身体的、もしくは両者を含む機能的障害を持ち、それが固定してしまっている状態をいう」という定義があります。言い替えると次のようになります。
 1.心理的機制、すなわち心のからくりによっておこる。
 2.起こる症状は機能的なもの(器質的な病変をもたない)
 3.それが慢性化している。

森田療法の対象となる神経症は、具体的には次の2種類となります。

[1]身体的不調、病気、事故などの不安と関連するもの

1.不安神経症(心臓神経症)
何かの機会に不安発作(動悸、呼吸困難、めまい等)が起こり、それが不安で電車に乗れなくなったり、慢性的に不安を感じているなど生活に支障をきたすもの。検診などで軽い不整脈や高血圧を指摘されたり、知り合いが心臓発作をおこしたりなどのきっかけから、自分の脈拍や動悸を意識し頭から離れなくなるなど、不安発作がなくても起こる場合もあります

2.胃腸神経症
食中毒や通勤や通学の途中での下痢などをきっかけに出現することが多く、食べ物を食べた後に必ずトイレに行きたくなるとか、そのために電車が不安になるとかの症状があり、ひどくなると食が進まずやせてしまうこともあります.

3.癌恐怖症、AIDS恐怖症等
医学関連の記事を読んだり、軽い身体の不調感を意識したりしてから、自分は癌やAIDSなどの重い病気なのではないかという考えが頭から離れなくなるものです。

4.不眠神経症
不眠症にはうつ病からくるものなどがあり鑑別が必要です。これは、「眠れないと体に悪い」とか「不眠は仕事にさしつかえる」などの考えが先にあり、不眠に対する不安をきたすものです。「眠ろう、眠らねば」の思いがかえって不眠を強めてしまう状態です

5.事故恐怖症
何かのきっかけに交通事故や飛行機事故などを過度に気にするようになり、自動車や飛行機を避けたり、乗れなくなったりする状態です。自分でもはがゆいと思いながらも不安に負けて、その場面を避けてしまいます。

これらの症状の背後には、森田先生が指摘した「死の恐怖」がその背景にあります。
とらわれる症状はさまざまでも、共通するのは、「死にたくない、健康に生きたい」という願いです。
この願いを森田は、「生の欲望」と名づけ、神経症になる人はこの生の欲望が人並みよりも強いと指摘しました。
逆に、この生の欲望は人間が共通に持っているものですから、どんな人でも神経症になりうる素地はあるのでしょう。

[2]社会的場面、対人場面での緊張と関連するもの

対人恐怖、場面恐怖とよばれる神経症で、会合や人と会う状況を過度に意識して、緊張し、不安を抱くものです。

1.スピーチ恐怖、発表恐怖
男性に多く、仕事にからんで多いものですが、最近はキャリアを持つ女性にも増えています。会議の席上などで自分が話す時に声が震えたとか、顔が赤くなったとか、途中で声が出なくなったとかをきっかけに、「次も失敗するのではないか」「人に変に思われるのではないか」との意識がつよくなって、ひどくなるとその場面の何日も前から緊張し、不眠になったり不安でいたたまれなくなります。電話で声がふるえるなどの電話恐怖もあります。新しい仕事とか慣れないスピーチなどをきっかけに発症する事が多いものです。

2.サークル恐怖
女性、特に主婦に増えています。幼稚園、学校のPTAなどの会合やサークルで、最初にうまくしゃべれなかったとか、自己紹介がうまくいかず恥ずかしかったなどをきっかけに、「仲間に入れないのではないか」、「また恥をかくのではないか」と不安になり、会合やサークルに出られなくなったり、出ても緊張して話せなくなるものです

3.会食恐怖
若い女性に比較的多い症状です。人前で緊張して食べられなくなり、そんな自分を変に思われるのではないかとまた緊張してしまうという症状です。恋人や婚約者など自分にとって大切な人の前で特に症状がひどくなり、こころならずも一緒に食事をするのを避けるようになります。症状を話すと嫌われるのではないかと相手に相談することもできず、自分一人でもんもんとすることが多い症状です。

4.書痙
昔からある神経症です。人前で書類を書いたり、サインをしたりする時に字が震えたのをきっかけにはじまります。震えをとめようとすればするほどひどく震えるようになり、ひどくなると一人の時まで震えるようになります。書類の記入やサインを避けるようになり、ある人は何10年間も奥さんに記入を代わってもらっていました。亜型に、医者の注射恐怖があります。これは注射をしようとすると針が震えてしまい、止めようとすればするほどひどくなって注射ができないというものです。医学生や研修医など若い医師に出現しやすく、他人から見るとマンガ的ですが、本人は医者をやめるべきか深刻に悩むものです。

これらの場面神経症では、慢性化すると、いずれも、その場面を想像するだけで不安になったり緊張して苦しくなります。

これらの症状の背後には、高良先生の言った「適応不安」と、社会的な生き物としての人間のもつ「恥の恐怖」があります。
適応不安とは「自分の今の心身の状態で、これから先、はたしてうまくやっていけるだろうか。環境に順応していけるだろうか」という不安です。ですからその人にとって、環境の変わり目に起こりやすく、また「失敗したらどうしよう、うまくやらねば人の前で恥ずかしい」という恥の意識が強く働いています。
「~であらねばならぬ」という意識は、その人が集団適応していく上で大切なものですが、過ぎたるはおよばざるがごとしで、あまり強くなり過ぎるとかえって適応の妨げになります。

治療について

不安が強すぎて一歩も家を出られないとか、職業や家庭生活に完全に機能不全を起こし、短期間で何とか治したいというような場合は、入院森田療法の適応となります。しかし、実際には不十分ながらも仕事はこなしたり、家庭生活も何とかやっているというケースも多く、定期的には外来治療することで改善していく人達も実際に多いのです。
外来で神経症の治療をする場合、初期の段階では、抗不安薬を使って不安の軽減を図り、その上で森田療法を行うことが有効です

外来森田療法の要点は、①精神交互作用の打破、②神経症的な視点の変更、の2つです。
身体的なことに対するとらわれも、社会的な場面でのとらわれも、いずれも「体の不調感」や「人前での体のふるえ」などの広い意味での「感覚」をあるきっかけに意識し、それを取り去ろうとする努力によって、かえってその感覚を鋭敏にし、それがまた不調の意識につながるという悪循環を形成しています。これを森田正馬は「精神的交互作用」と名付け、これが神経症の症状を形成・増悪させていくことを喝破しました。そして、この精神交互作用を打破するためには、この感覚とそれにともなう適応不安とを現在あるものとして認め、それとともに「もし症状がなければ自分はこれをやりたい」というその人の本来の欲求にそった行動を勧奨して行くことです。このような「不安を認め、自分の本来の欲求にそって動く」ことを「あるがまま」の態度と言い、森田療法の一つの要諦になっています。そしてこの「あるがまま」の体得により、自然と精神交互作用の悪循環から離れて行くのです。

森田療法のもう一つの要点は、このような神経症になりやすい人の視点の自覚です。この人たちは、完全欲が強く、それが内向すると、自分が100%の状態でないと安心できない傾向があります。そのために自然な体調の波や、当然ある緊張までも「あってはならない」と思って排斥するため、かえって神経症に陥りやすくなります。このような「かくあるべし」という観念から、人間の自然なゆらぎを認め、「人間の事実そのまま」からスタートするように視点を変えて行きます。また神経症の時はどうしても視点が自己中心、症状中心になりやすく、「自分の症状は(悪い方に)特別だ」、「他の人は不安も緊張もなく生活しているのに、自分だけ」という考えに陥ります。このような視点を変更するためには、他の神経症の患者さんや、神経症を通り抜けた人との話し合いの場を設けたり、「他の人も不安がある」「皆、緊張する時はするのだ」という経験をして、「不安のない人はいない」という実感から、「平等感」に入る必要があります。
治った神経症の人は、神経症になる前よりも積極的になったり、人間関係が良くなる人も多くみられます。これは、神経症の治療の過程で、それまでの狭い視点が広がり、考え方に余裕ができたり、人間性に対する理解が進んだりするためです。患者さんで「神経症になって良かった」と言われるかたがおられますが、このような人は確かに治療後の方が生き生きと生活しているようです。